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東京高等裁判所 平成4年(う)372号 判決

主文

原判決中、被告人に関する部分を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人正野朗が提出した控訴趣意書に記載してあるとおりであり、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に記載してあるとおりであるから、これらをここに引用する。

弁護人の控訴の趣意の要旨は、次のとおりである。

原判決は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、第一 Bと共謀の上、平成三年一一月二一日ころ、神奈川県横浜市緑区奈良町二、〇六〇番地付近の空地に駐車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を含有する水溶液若干量を被告人において、右Bの右腕部に注射し、もつて、覚せい剤を使用し、第二 Aと共謀の上、前同日ころ、同所において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を含有する水溶液若干量を被告人において、右Aの左腕部に注射し、もつて、覚せい剤を使用したものである。」との事実を認定した。

しかし、

(1) 真実は、A及びBが自ら覚せい剤を注射したもので、被告人は全く関与していなかつたものであるから、被告人は無罪である。

(2) 被告人の捜査段階及び原審公判廷における自白並びにA及びBの捜査段階における供述等は、Aが被告人に対し、被告人が注射したことにしてもらいたい旨依頼し、当時Aと肉体関係があり、将来結婚したいと思つていた被告人が、Aの刑を少しでも軽くしてやりたいと考えて承諾し、BもAから頼まれてこれに口裏を合わせた結果である。

(3) A、B及び被告人の捜査段階における供述には、いずれも不自然なところがあるのに、原判決がこれを看過し、右各供述を信用したのは誤りである。

また、Aから被告人に宛てた平成四年三月二三日付けの手紙には、BのこともAのことも庇わないで、総て本当のことを話して下さいとの記載があり、この手紙によつても、前記(2)の事実が明らかである。(以上)

なお、控訴趣意に引用されたAの手紙には、「控訴の件ですが、Bの事も、俺の事も、総て庇わないで本当の事を話して下さい。Bも俺も個人個人でやつたのだと……。俺に言われてそう言つたことなど総て本当のことを話して下さい。俺たちのことを庇つて花子が苦しむ事などないのだから……。花子だけ重い刑になる事はないのだから……。」との記載がある。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討する。

一  原審における審理の状況

被告人は、原審においては、各公訴事実を全面的に認めていた。また、原審において取り調べた被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書(以下「警察調書」、「検察調書」という。)には、本件各犯行に関する具体的、詳細な自白があり、A及びBの供述調書の内容も、これを支持、補強するものであつた。なお、原審においては、共犯者の一人とされたAの事件と弁論が併合され、同時に審判されたのであるが、その公判において、Aも、被告人から覚せい剤の注射を受けた事実を全面的に認めていた。

したがつて、原審において取り調べた証拠によれば、本件各公訴事実について、いずれも証明は十分であると認められる。

ただし、当審において被告人、A及びBが捜査段階又は原審公判廷における供述を覆えした状況の下で、原審で取り調べた証拠を改めて仔細に検討すると、後記三のとおり、疑問に思われるところがあることは否定できない。

なお、共犯者とされたAについては、原判決の懲役一年の刑が確定している。また、同Bは、少年であつたため、家庭裁判所に送致され、保護観察に付せられている。

二  当審における事実の取調べの結果

1  当審においては、前記控訴趣意にかんがみ、被告人質問を行い、弁護人申請のA及びB証人を取り調べ、検察官申請の警察官E、同F及び同G証人を取り調べ、弁護人の援用する前記Aの手紙のほか、その前後にわたつて被告人とAの間で取り交わされた手紙一六通等の取調べを行つた。

すると、被告人だけでなく、A及びBも、従前の供述を覆えして、おおむね、控訴趣意に沿う供述をするに至つた。

また、被告人とAの間で取り交わされた手紙を通読・精査すると、その内容は、被告人の当審公判廷における供述を支持するものと認められた。

2  被告人の当審公判廷における供述の要旨は、次のとおりである。

(一) 平成三年一一月二一日、Aが運転する自動車の助手席にB、後部座席に自分が座り、東京へ向かう途中、Bが「疲れて眠たい。」などと言うと、Aが「あるからやるか。」と言つて、車を停めた。Aが覚せい剤の注射液を作つた。多分Bの分も作つた。Aは自分で注射した。Aが立て膝になつて、タオルを左腕に巻いているところや、注射の針を抜くところを見た。Aが針を抜いた二、三分後、BがAの方を向いて腕を伸ばしているところや、手で揉みながら左腕を押さえているところを見た。その他のことは後ろの席に座つていたからはつきりは見ていないが、AがBに注射してやつたと思つた。

(二) その後、パトカー四台に挟まれ、車を停められた。前の車から警官が歩いて来るのを見て、Aが自分に「ポンプと鋏を小物入れに入れてバッグの中に入れたから、もし見つかつて誰のかと聞かれたら、俺のでないと言つてくれ。」と言い、「後のことを頼む。」とも言つた。

(三) 三人とも警察に連れて行かれた。警察へ着いて二〇分位して、注射器と鋏が見つかり、警察官から「Aのか。」と聞かれたので、「違う。」と答え、館林のCことD方から持つて来たと述べた。

(四) 当日使用した覚せい剤も、Aのものである。私が警察でその覚せい剤を館林のD方から持つて来たと述べたのは嘘である。Aをかばうためにそう言つた。

(五) Aは、かねて手配されていた窃盗の容疑で逮捕された。私は、一旦帰され、その後何回かAに面会に行つた。しかし、立会人がいたので、警察で何と話したか、何と話すかなどの口裏合わせはしていない。

(六) Bとは、Aの状況等を連絡し合つていた。Bが逮捕された日の午後三時ころ、世田谷の駅のそばのマクドナルドでBと会つて話しをした。Bは、「警察が聞きたいことがあるつて何だろうね。」と心配していた。また、Bは、「警察に車を停められたとき、Aが言つた言葉はどういう意味かな。」と言い、「警察で聞かれたら、どういう風に言つたらいいか。」と相談してきた。私は、Aを庇うことが先だつたので、「もし何かあつたときは、私が射つたことにしていい。」と答えた。

(七) 当時は、BはAに覚せい剤を注射してもらつたと思つていたので、「私が射つたことにしていい。」と言わなければ、Bは当然警察でAの名前を出すと考え、Aを庇うつもりで、そう言つたのである。Aは、そのとき相模原と館林の警察からも追われていたので、世田谷警察に長く勾留されていると、それらの事件も分かつてしまう心配があり、私は、Aの取調べが早く終わり、その罪が少しでも軽くなるようにと願つていた。また、当時、私にも、離婚問題とか、館林のDに追われているとか、いろいろ事情があつたので、表にいるより、刑務所にいる方がいいという気持ちもあつた。

(八) 警察での最初の取調べは、一二月七日であつた。E刑事は、弁解を聞くとき、Bに覚せい剤を射つただろうと言われた。私は最初覚えがないと言つた。すると、Bがお前に射つてもらつたと言つていると追求された。それで間もなく認めた。F刑事であつたと思うが、「Aにもやつたのか。」と聞かれ、Aに射つたことも認めた。

Bに私が射つたことにしていいと言いながら警察で最初否認したのは、警察に行つたときは、本当に私が射つたことになつているかどうかも分からず、認めたくない気持ちにもなつていたからである。その後、E刑事にAと合わせて調書を作つて欲しいと頼んだ。

(九) 今頃になつて、本当のことを言う気になつたのは、判決の懲役二年の刑が重いと思つたこと、Aも、判決のとき、小さい声で「控訴しな。」と言つたこと、その後、Aから、「俺たちを庇つて二年も刑務所に行くことはない、控訴して本当のことを言つてくれ。」という手紙が来たこと、Aが執行猶予にならなかつたので、これ以上庇う必要はなく、また、同人の裁判が終わり、本当のことを話しても、同人の刑が増えることはないのではないかと思つたこと等からである。

(一〇) 現在ではAに対して、特別な気持ちはない。今は子供のところへ帰ろうと思つている。今回最初に作り話しをして、こんなに大きくなつてしまつた。警察の時点で、全部庇わないで本当のことを言えば良かつたと思う。

3  Aの当審公判廷における供述の要旨は、次のとおりである。

(一) 事件当日、自動車の中で、私とBが「眠くて仕方がない。」などと話しているうち、覚せい剤を射とうということになつた。私が言い出した。

覚せい剤は、自分のもので、注射器と一緒に、後部座席に置いた自分のバッグの中にあつた。

(二) 先ず、私が覚せい剤の水溶液を作り、自分で自分の腕に注射した。その後、注射器を洗い、覚せい剤と一緒にBに渡した。Bは、自分で水溶液を作つたと思うが、その場は見ていない。Bが注射したところも見ていない。自分は、Bに注射していない。被告人がBに注射したところは見ておらず、そのような様子も感じられなかつた。Bが終わつた後、注射器と覚せい剤が僅かに残つたパックを同人から受け取り、注射器はバッグに納め、パックはちり紙と一緒に捨てた。その間、被告人は、後の座席にじつと座つていた。

(三) そのとき使つた覚せい剤は、その一日か二日前、新宿へ遊びに行つたとき私が買つたものである。

私は、本件の一年位前から覚せい剤を注射していた。回数は分からないが、一〇〇回以上はしたと思う。私は自分で注射できるし、Bもできると聞いていた。

(四) 覚せい剤を射つて、再び自動車を運転中、パトカーに停められた。運転していた自動車が盗難車だつたからである。

警察官が近づいて来るとき、被告人と何か話したと思うが、動転していたので、何を話したか、ちよつと覚えていない。「後のことを頼むな。」位なことを言つたかも知れない。荷物とかそういうことがいろいろあつたからである。警察官に囲まれたときは、自動車窃盗のことに頭がいつていて、注射器の入つたバッグのことは頭になかつたので、被告人に対して、「注射器を小物入れに入れてバッグの中に入れたので、もし見つかつて誰のかと聞かれたら、俺のではないと言つてくれ。」と頼んだことはないと思う。しかし、当時は動転していたし、自分の記憶に自信もないので、そのような趣旨を言つたことがあるかも知れない。

私は、その日、窃盗容疑で捕まり、警察で注射器の入つた茶色のバッグについて「甲野さんのか。」という聞き方をされたので、そのまま頷いてしまつた。自分可愛さからである。

(五) 自分が逮捕されて少し経つたころ、被告人が面会に来てくれたとき、立会の警察官に分からないよう言葉を選んで、本件についてB君のこととかその他のこともうまくやつてくれというふうに頼んだと思う。しかし、具体的に警察でこのように述べてくれなどと言つた覚えはない。

(六) 一二月七日だと思うが、覚せい剤取締法違反で再逮捕され、取調べを受けたとき、最初から注射したことは認めたが、具体的な事実を尋ねられて、しばらくしやべらないでいた。自分だけのことであつたら別に構わないけれど、Bが私と一緒にやつているし、被告人もあの場所にいたから、直ぐにはしやべれなかつたのである。このように自分が詰まつたとき、取調官が、「甲野はこう言つているぞ。」という感じで聞いてきたので、それに乗つて、被告人が私やBに注射したもので、覚せい剤も被告人のものであると述べた。取調官から「甲野はこう言つているぞ。」と聞かされたとき、被告人は私の刑が重くならないように考えてくれているのかなと思つた。一審でも警察での供述を維持した。そのように供述したのは、自分の身が可愛かつたからかも知れない。

(七) 一審判決後、被告人に本当のことを話せという手紙を書いたことはある。それは、被告人の体内からは覚せい剤の反応がでなかつたのに、自分達のために被告人が懲役二年の刑になつたことを聞いて申し訳ないと思つたからである。被告人に宛てた手紙の中で、「俺に言われてそう言つた事など総て本当の事を話して下さい。」と書いてあるのは、前に述べたとおり、被告人が面会に来てくれたとき、言葉を選んで、うまくやつてくれというふうに頼んだことを指している。

4  Bの当審公判廷における供述の要旨は、次のとおりである。

(一) 事件当日、Aが自動車を運転し、私が助手席、被告人が後部座席に座つて、ドライブをしていた。私は、眠くてたまらず、後の方はほとんど寝ていた。Aとの間で覚せい剤を射つたら目が覚めるという話が出て、射つことになつたと思う。私は、自動車が停まるまで半分寝ており、準備ができたぞという感じでAに起こされた。覚せい剤が運転席と助手席の間の箱の上に置いてあり、Aから注射器を渡された。自分で射つてみようかと思つたが、できなかつたので、Aに頼んで射つてもらつた。その後、車から降りて小便をしたり、ぼおつと立つていた。Aも多分射つたと思うが、射つたところは見ていない。私が先に射つてもらつたと思うが、Aが先に射つて、それから私に用意してくれたのかもしれない。

(二) 私は、前々から覚せい剤に興味というか、好奇心を抱いていたが、それまで射つたことはなかつた。

(三) パトカーに囲まれて、警察官が車の方に来るとき、Aが私に「甲野さんを中心に話を進めてくれ。」というようなことを、一言言つたが、正確な言葉は覚えていない。Aが被告人に何か言つたかどうかは分からない。

その日、世田谷署に連れて行かれて、尿を取られた。覚せい剤を射つたかと聞かれ、射つたことを認めたが、細かいことは聞かれなかつたし、答えなかつた。

(四) その後、三軒茶屋のマクドナルドで被告人と会つて話をした。私は、Aがパトカーに囲まれたとき私に「甲野を中心に話しを進めてくれ。」と言つたことについて、「Aさんが言つたのはどういう意味なんだろう。」と被告人に聞いた。また、「この後、どうしたらいいのだろう。」と相談した。すると、被告人は、「私が注射をしたことにしておいて。」というようなことを言つた。それ以上具体的に警察でどのように話すかというような相談はしなかつた。

私としては、警察の取調べに対しては、とりあえずAにしてもらつたことを全部被告人の名前に変えて話し、何と言つていいか分からないところは黙つていて、自分に分かることだけ答えていこうと思つた。

(五) 私は、一二月二日か三日に逮捕された。取調べのとき、何を話していいかよく分からなくて、余りしやべらず、あいまいな返事をしていたところ、警察官が「他の二人もこう言つているし、こうなんだろう。」と言うので、「多分そうだと思います。」というように答え、調書を作つていつた。検事のところでも、その調書に沿つて話した。

三  当審公判廷における被告人並びに証人A及び同Bの本件覚せい剤の使用状況に関する供述の信用性

1  本件覚せい剤の使用状況に関する被告人の供述は、具体的で、不自然なところは少ない。

2  これに対し、A及びBの供述は、あいまい又は不自然なところが少なくなく、かつ、重要な点で相互に食い違い、被告人の供述とも食い違つている。

しかし、Aは、自分が覚せい剤溶液を作り、自分で自分の腕に注射した事実を、Bは、Aから覚せい剤溶液の入つた注射器を渡され、自分で注射してみようとしたが、できなかつたので、Aに頼んで注射してもらつた事実を、いずれも明確に供述しており、この事実に関する供述には、不自然・不合理な点は認められず、反対尋問によつても動揺が見られない。

3  その上、Aは、捜査段階及び原審公判廷においては、「覚せい剤は二〇歳のころ一回先輩に注射してもらつたことがあるだけで、その後は使用したことがなく、自分で注射したことはない。」旨供述していたのであるが、当審公判廷においては、「本件の一年位前から覚せい剤を注射していた。回数は分からないが一〇〇回以上はしたと思う。」旨供述するに至つた。

そして、Bの検察官に対する供述調書中に、「以前から、被告人やAの話しで覚せい剤に興味を持つていた。」「本件で覚せい剤を射つてもらう前、自分が迷つていると、Aが、『人に勧められてやるもんじやないからなあ。』と言つた。」旨の供述記載があること、後記のとおり、本件で使用した覚せい剤、注射器等はAの物である疑いが強いことなどをも考慮すると、Aの捜査段階及び原審公判廷における供述は信用し難く、当審公判廷における供述のとおり、Aは、本件以前にも多数回覚せい剤を使用した経験を有する疑いが極めて強い。

そうすると、そのAが自分で注射をせず、わざわざ被告人に注射してもらつたというのは、不自然であると考えられる。

4  また、Aは、捜査段階においては、「自動車を運転中、眠くてたまらなかつたので、後部座席にいる被告人に『元気の素ある。』と聞いたところ、被告人が手掌の上にビニール袋に入つた覚せい剤を載せて出して見せた。本件で注射したのは、その覚せい剤である。」旨供述していたのであるが、当審公判廷においては、「本件で注射した覚せい剤は、自分のもので、注射器と一緒に、後部座席に置いた自分のバッグの中にあつた。それを自分が取り出して使つたのである。その覚せい剤は、本件の一日か二日前、新宿へ遊びに行つたとき買つたものである。」旨明確に供述している。

そこで検討するのに、

(一) 本件後の自動車の検索の際、本件で使用した注射器等は、Aのバッグの中の小物入れから発見されたものと推認されるところ、この事実は、右注射器及び本件覚せい剤がAの物であることを窺わせる客観的状況である。

(二) Aの捜査段階における供述によれば、Aは、甲野と交際、同棲している間、本件以前には甲野が覚せい剤を所持又は使用しているところを見たことは全くなく、自分自身覚せい剤を使用したこともないというのであり、そうすると、Aが自動車を運転中眠くなつたというだけで、いきなり被告人に覚せい剤があるかと聞いたというのは、余りに唐突で不自然の感を免れない。

(三) 他方、被告人は、捜査段階及び原審公判廷において、「本件で使用した覚せい剤は、本件当日、A及びBと一緒に館林のDの居室へ自分の荷物を取りに行つたとき、同室内にあつたものを注射器等と共に盗んで来たものである。」旨供述しているが、当審公判廷においてはこれを強く否定しており、他の証拠を併せて検討すると、右供述の信用性には疑問がある。

すなわち、

(1) Aの警察調書及び検察調書には、本件当日、Dの居室に被告人の荷物を取りに行つた旨被告人の前記供述に沿う供述記載があるが、Bの検察調書には、「本件当日はA及び被告人と一緒に車に乗つて遊んでいた。」旨の供述があるだけで、館林のDのところに行つて被告人の荷物を持ち出した旨の供述記載はなく、かえつて、「自分が逮捕される二、三日前被告人から『群馬県のCというヤクザのところから、注射器とネタを持つて来た。』と聞かされた。」旨、Bが被告人等と一緒にDの居室に行つたことはないことを推測させる供述記載がある(Bの警察調書には、右の点に関する記載は全くない。)。

そして、当審公判廷においては、Bだけでなく、Aも、Dの居室に被告人の荷物を取りに行つたことはない旨明確に供述し、前記警察調書及び検察調書の供述については、警察官から「甲野はこう言つているぞ。」と言われて、それに合わせたものである旨主張している。本件捜査の経過等からすると、この主張も、あながち虚偽として排斥することができない(後記五参照)。

そうすると、被告人が本件当日、A及びBと一緒に館林のDのところに被告人の荷物を取りに行つた事実自体、その存否が疑わしいといわなければならない。

(2) 被告人は、捜査段階において、本件当日D方から盗んだ覚せい剤の量を当初は約一グラムと述べ、後に約〇・五グラムと訂正しているのであるが、後者であつたとすれば、本件で約〇・〇四グラムをA及びBに注射した後、約〇・四六グラムの覚せい剤が残つたことになる。ところが、本件後の自動車内の検索では、注射器等が発見されたに止まり、覚せい剤は発見されていない。被告人の警察調書及び検察調書には、「A及びBに注射した後、少し覚せい剤が残つたので、ジュースの空缶に入れて捨てた。」旨の供述記載があるが、被告人が右覚せい剤を本件当日D方から盗んで来たものとすれば、本件でその覚せい剤のごく一部(約〇・〇四グラム)を使つただけで、残り(約〇・四六グラム)を捨ててしまつたというのは、甚だ不自然といわなければならない。

(3) 被告人は、捜査段階以来一貫して、前刑出所後は覚せい剤を使用していない旨供述しており、本件の際、被告人が少なくとも自身には注射していないこと、本件後被告人が提出した尿から覚せい剤が検出されなかつたことからすると、あながち右供述を虚偽と見ることはできない。

そうすると、被告人がDに追われていることを認識しながら、何故に敢えて同人方から覚せい剤を盗んだのか、という疑問が生ずる。

この点、被告人の検察調書には、「なぜこんなものを持ち出したかと言うとD達が私やA君をさがしているということを聞いていたからでした。Dに見付けられた時に覚せい剤などを証拠として持つていれば、ひどい目にあわされることもないだろうと思つたのです。」旨の供述記載があるが、この供述が不自然で信用し難いことは、弁護人が控訴趣意において主張するとおりである。

(4) 被告人の「本件で使用した覚せい剤、注射器等は、自分がD方から盗んだものである。」旨の供述は、その供述の経過から見ても(後記五参照)、被告人がAをかばうために述べた虚偽の供述である疑いが強い。

(四) 以上の検討によると、本件で使用した覚せい剤、注射器等は、Aが当審公判廷で供述するとおり、同人の物である疑いが強いといわなければならない。

5 当審公判廷において、Bは、「Aに頼んで同人に注射してもらつた。」旨明確に供述し、Aは、強くこれを否定しているが、この点については、以下の理由により、Bの供述が信用できると認められる。

(一)  当時、Bは、少年であり、同人の検察調書及び当審公判廷における供述のほか、被告人及びAの警察調書及び検察調書等によつても、本件以前には、覚せい剤を使用した経験が全く又はほとんどなかつたものと認められる。

(二)  Bは、当審公判廷における供述時には、既に家庭裁判所における保護観察の審判が確定しており、同人の供述態度等からみても、本当は自分で注射したのに、敢えてAに注射してもらつた旨虚構の事実を述べているとは思われない。

(三)  被告人も、当審公判廷において、「Aが自分で注射し、針を抜いた二、三分後、BがAの方を向いて腕を伸ばしているところや、手で揉みながら左腕を押さえているところを見た。AがBに注射してやつたと思つた。」旨供述している(前記二1(一)参照)。

(四)  Aは、当審公判廷において、「Bに覚せい剤と注射器を渡し、Bが終わつた後これらを返してもらつたが、その間、隣りに座つているBが覚せい剤溶液を作るところも、これを注射するところも見ていない。」旨供述しているが(前記二3参照)、この供述は、甚だ不自然である。

(五)  Aは、当審公判廷における供述時には、現に受刑中であつたため、当審公判廷でBに覚せい剤を注射した事実を明確に供述した場合、右事実についてもまた処罰されるおそれがあるとの不安を感じ、かつ、かねてBに対し憤懣の情を抱いていたため(後記四2参照)、敢えてBに注射した事実を否定した疑いが強い。

6 以上の証拠を総合して判断すると、本件の真相は、被告人が当審公判廷において供述するとおり、Aが自ら所持していた覚せい剤を自身に注射するとともに、Bにも注射してやつたもので、被告人は右覚せい剤の使用に関与しなかつた疑いが強いと認められる。

四 被告人とAの間で取り交わされた手紙一七通の検討

1  当審においては、被告人とAの間で平成四年二月九日から同年七月二〇日までの間に取り交わされた手紙一七通を取り調べた。

これらの手紙を検討すると、被告人がAを庇うつもりで、捜査段階の当初から、A及びBに覚せい剤を注射した旨虚偽の自白をし、原審公判廷でもこれを維持したが、原判決の刑が予想外に重かつたので、控訴を申し立て、色々迷つた末、Aから「自分やBを庇わないで本当のことを述べて下さい。」との手紙を貰つたことから、遂に、当審において真実を述べる気持ちになつた経緯が窺われる。

2  初期の手紙によると、被告人は、控訴を申し立てた当初は、未だ原審における供述を覆して無罪を主張するほどの気持ちはなく、原判決の量刑を争つて刑の軽減を得ることを望んでいたこと、これに対し、Aが、自分の弁護士から聴いた情報として、本件につき控訴審で刑の軽減を得ることは困難である旨の悲観的な見通しを再三伝えていたことが認められる。

また、その頃のA及び被告人の手紙には、Bに対する憤懣の情がしばしば現われている。これらの手紙を総合すると、A及び被告人は、原審で取り調べられたBの検察調書中にBが被告人から「無理矢理」覚せい剤を注射された旨の記載があるように感じ、また、Bがその後Aや被告人のところに面会にも来ず、態度が冷淡であるなどと考えて、憤懣の情を抱いたものと認められる。

3  以上のような状況の下で、被告人の二月二七日付けの手紙中には、「控訴ではBの件を弁護士さんに話しをして見ようと思つています。無理したとか私は何もそんな事はした覚えは有りません。」という記述が現われ、更に、三月九日付けの手紙になると、「私は、今度の控訴で、B君の一件は、初めから私は何もしていなく庇つたのに、調書に無理矢理となつていたことはA君も聞いて知つていますよね。そんな事なつとくゆかないので弁護士さんが決まつた時、話しをするつもりです。私は、控訴でB君を全面否定する考えで居ります。やつていない事まで、私が庇い立てしなくてもと思うので、いろいろ相談して見て、今の刑よりもう少し軽い刑になるよう頑張ります。同じ他人使用でも、二人より一人だいぶ違うと思う。初めから庇わないで最後まで否定すれば良かつたのかも知れません。」という文章が現われる。

これらによると、被告人は、二月二七日ころから三月九日までの間に、次第に、控訴審においてはBに対する覚せい剤の注射の事実を否認する決意を固めたことが認められる。ただし、前記2の経緯及び右各手紙の文言からすると、右事実を否認するにあたつては、Bが自分で注射したと主張するつもりであり、AがBに注射した事実を暴露する気持ちはなかつたと推測される。また、Aに対して注射した事実については、従前どおり認める方針であつたことが明らかである。被告人としては、できるだけAに迷惑をかけることなく、刑の軽減を得たいと、色々考えた末、右の方針を定め、これをAに伝えたものと推認される。

4  その後、暫く通信が途絶えた後、Aの三月二三日付けの手紙には、前に引用したとおり、「控訴の件ですが、Bの事も、俺の事も、総て庇わないで本当の事を話して下さい。Bも俺も個人個人でやつたのだと……。俺に言われてそう言つたことなど総て本当のことを話して下さい。俺たちのことを庇つて花子が苦しむ事などないのだから……。花子だけ重い刑になる事は無いのだから……。」との記述が現われる。

そして、これを受けて、被告人の三月二七日付けの手紙には、「この間の手紙にも書いた控訴の事ですが、A君の手紙にも書いてあつたように総て本当のことを控訴で話すことにします。」「私が一番心配しているのは、第一回目の裁判で二人して嘘をつきましたと、今度の裁判で私が言つたら、A君も本当のことを男として言つてくれますか?嘘の証言をしたということで刑が増えることもあるかも知れませんが、私の為に総て本当のことを言つてくれますか?」との記述がある。

これらによると、被告人は、Aの三月二三日付けの手紙を読んで、控訴審では「総て本当のことを」話そうと決意したものと認められる。ただし、Bに対する注射の件については、できる限りは従前の方針どおりBが自分で注射したと主張するつもりであり、Aも、そのような被告人の意向を察知し、そうなることを期待していたと推測される(現に、当審公判廷において、被告人は、AがBに注射したところを見たとは供述せず、色々質問を受けた末、ようやく前記二2(一)のような供述をするに止まつている。また、Aは、Bに注射をした事実を強く否認している。)。

5  被告人は、以上のように決意したものの、その結果、Aが裁判所で尋問され、同人に不利益な事実を述べざるを得なくなり、場合によつては刑が加重されるのではないかと案じ、同人の立場に気を遣つていることが窺われる。

前に引用したとおり、被告人の三月二七日付けの手紙には、「私が一番心配しているのは……今度の裁判で……A君も本当のことを男として言つてくれますか?嘘の証言をしたということで刑が増えることがあるかも知れませんが、私の為に総て本当のことを言つてくれますか?」という記述があるが、これは、Aの立場を案じながら、同人の決意を確認する趣旨を含む文章と解される。

更に、被告人の四月二日付けの手紙には、「今日四月一日水曜日A君のお父さんから現金の差し入れがありました。何と言つて良いのかわかりませんが……。どうもありがとうございました。」「こういうことを、A君に書いたら悪いと思いますが、A君のお父さんからよくしてもらうことがあつても、この間手紙に書いた通り自分の意志を曲げることなく、控訴の裁判を受けようと考えています。私も、警察では、そして、一審の裁判では、A君とBをかばいましたが、事実と反したことで二年という刑は考えても納得いかない部分があります。」旨の記述がある。これは、被告人がAやその父の意向に気を遣いながらも、控訴審ではあくまで真実を訴えていく決意を率直に語つたものと解される。

6  次に、Aの六月一七日付けの手紙には、「花子も俺の事を思つておれを助けるつもりでうそを言つたのだと思つている。俺も花子の助けに乗つてしまい本当に悪いと思つている。」旨の記述があるが、これは、後記五で検討するとおり、本件身代りの真相に触れた文章であるとともに、Aが、自分を庇うために被告人が懲役二年の刑を受けたことを済まなく思つていることを示す一証憑であると解される。

また、被告人の七月六日付けの手紙中の「A君が、弁護士が面会に行つた時に、別に庇つてくれとは頼まなかつたと言つていると聞いたとき、たしかにそうかも知れないと思つたけど、……。」という記述も、後記五の検討との関係で注目すべき文章である。

7  以上の検討の対象とした手紙一七通のうち、弁護人から証拠調べが請求された一通を除く一六通は、当裁判所が東京拘置所長に命令して(この処分に対し弁護人は反対の意見を述べた。)提出を受けたものである。そして、各手紙の内容に照らして考えても、被告人及びAが、本件裁判を意識し、裁判を被告人に有利に導くために作意的に、これらの手紙を書いたものとは認められない。

8  前記三の検討の結果に、以上検討してきたところを併せ考えると、本件の真相はAが覚せい剤を自らの身体に注射し、Bにも注射したのに、被告人がAを庇うため身代りになつた疑いが益々強くなつたといわなければならない。

五 本件身代りに関する被告人、A及びBの間の意思連絡

1  以上のように、本件は、被告人がAを庇うために、身代りになつた疑いが強いのであるが、他方、前記二で引用した被告人、A及びBの各供述によると、その身代りについて、被告人又はBとAの間に事前の明確な通謀はなく、被告人とBの間でさえ詳細な打合せや口裏合せは行われなかつたことが窺われるので、その身代りがどのような経緯で企図、実行され、成功したのかが問題となる。

なお、弁護人は、控訴趣意において、本件身代りは被告人がAの依頼により企画し、BもAから頼まれてこれに口裏を合わせたものである旨主張するが、そのような事実は、証拠上認められない。この点は、検察官が弁論において詳細に論証するとおりである。

2  そこで検討するのに、本件においては、次のような経緯で身代りが企図、実行され、成功した疑いがある。

(一)  A、B及び被告人が乗つた自動車がパトカーに囲まれて停車し、前方から警察官が近づいて来た際、Aが、被告人に対し、「ポンプと鋏をバッグの中にしまつたから、もし見つかつて誰のかと聞かれたら、俺のでないと言つてくれ。」「後のことを頼む。」などと述べた。

(二)  その後、A、B及び被告人は、世田谷警察署に任意同行された。警察は、右自動車内を検索し、車内にあつたAのバッグの中から、注射器、注射針等の入つた小物入れを発見した。被告人は、警察官から右注射器等について誰の物かと聞かれ、Aから前記のように頼まれていたところから、かつて自分が身を寄せたことのある館林の暴力団員Dの物で、そこから持つて来た旨答えた。

同日、警察は、A、B及び被告人から尿の任意提出を受け、直ちに鑑定嘱託をした。

(三)  警察は、翌二二日、Aを自動車窃盗の容疑で逮捕し、その後、同事実について取調べを行つた。

(四)  同年一一月二六日、AとBの尿から覚せい剤が検出された旨の鑑定結果が出た。

(五)  被告人は、そのころ、何回かAに面会した。その際、Aは、立会いの警察官に分からないよう言葉を選んで、本件についてBのこととかその他のこともうまくやつて欲しい旨を伝えようとしたが、もとより、「警察でこのように述べてくれ。」などと露骨なことを話すことはできず、被告人は、Aの依頼の意図を察知することができなかつた。

(六)  被告人は、そのころ、Bとも連絡を取り合い、Aの状況等について話していたが、同年一二月三日の午後、三軒茶屋のマクドナルドで同人と会つた。Bは、当日警察に呼ばれており、「警察が聞きたいことがあるつて何だろうね。」と心配していた。また、Bは、被告人に対し、「パトカーに囲まれたとき、Aが私に『甲野を中心に話を進めてくれ。』というようなことを言つたが、これはどういう意味かな。」と言い、更に、「警察で聞かれたら、どういう風に答えたらいいか。」と相談した。これに対し、被告人は、「もし何かあつたときは、私が射つたことにしていい。」と答えた。それ以上具体的に警察でどのように述べるかなどの打合せはしなかつた。被告人が右のように答えたときの心情は、おおむね前記二2(七)のとおりであり、これを聞いてBが考えた警察の取調べへの対応策は、おおむね前記二4(四)のとおりであつた。

(七)  同日、警察は、A及びBに対する覚せい剤取締法違反について逮捕状を請求し、その発布を受けた。ただし、それらの被疑事実は、それぞれ単独の自己施用で、日時、場所も概括的なものであつた。

(八)  同日午後四時四五分、警察は、Bを逮捕し、Bは、被疑事実を認めた。ただし、Bは、この時点では、Aや被告人に迷惑をかけたくないと考え、自分で覚せい剤を注射した旨供述した(同人の弁解録取書、検察調書、当審公判廷における証人Fの供述)。

(九)  翌一二月四日、F巡査がBに対し、相当詳細な取調べを行つた。Bは、覚せい剤の注射をしたことがないため、覚せい剤溶液の作り方の説明等が十分にできず、また、F巡査から「最初なのに自分で射てたのか。」などと問い詰められて、自分で注射した旨の供述を維持することができなくなつたところから(Bの検察調書、当審公判廷における証人Fの供述)、前日被告人から言われたところに従い、実際はAがした行為を被告人がした行為であるように言い変えて、被告人に覚せい剤を注射してもらつた旨、具体的な供述をした。なお、Aの覚せい剤使用については、「Aが射つたかどうかは知らない。」旨供述した。

(一〇)  同月六日、警察は、Bの右供述に基づき、被告人に対する覚せい剤取締法違反についての逮捕状を請求し、その発布を得た。その被疑事実は、Bに対する一一月二一日の注射事実であつた。

(一一)  同年一二月七日午前九時三八分、警察は、Aを窃盗について釈放し、一二月三日に発布を受けた前記(七)の逮捕状により再逮捕した。Aは、弁解録取に当たつたF巡査に対し、「ネタを打つた。」と言つて、被疑事実を認めた。

(一二)  同日午前一〇時一五分、警察は、被告人を(一〇)の逮捕状により逮捕した。被告人は、弁解録取に当たつたF巡査部長に対し、当初事実を否認したが、同巡査部長から「Bが甲野に射つてもらつたと言つているぞ。」と言われると、間もなく、事実を認めた。なお、その際、Aに対する使用についても聞かれ、暫く考えた後、Aに注射した事実をも認めた。警察は、被告人に、覚せい剤の前科が多い上、既に一一月二一日に自動車内から発見された注射器等について被告人が館林の暴力団員Dのところから持つて来た旨を述べていたこと、他方、A及びBには覚せい剤事犯の前科、検挙歴等が全くなかつたことから、容易に被告人の右供述を信用し、被告人が本件の中心人物であると考えた。

(一三)  翌一二月八日、被告人は、E巡査部長の取調べを受け、A及びBに覚せい剤を注射するに至つた経緯及び注射時の状況等について、詳細な供述をした。その中には、本件当日、館林のDの居室から覚せい剤、注射器等を盗み出した具体的な状況も含まれていた。

(一四)  同日、G警部補が、Aを取り調べた。その際、同警部補は、既に被告人がBとAに注射したと自白している旨の報告を受けていた。Aは、覚せい剤使用の具体的な状況について質問されたとき、供述を躊躇し、しばらく黙つていた。これに対し、同警部補は、「甲野はAに注射してやつたと言つているぞ。」などと述べて、Aの供述を促した。Aは、被告人が自分を庇つてそのように供述してくれていることを覚り、その後は、自分がした行為を被告人がした行為であるように言い変え、同警部補の誘導的な質問にも助けられながら、被告人が自分とBに覚せい剤を注射してくれた旨、できるだけ被告人の供述に合わせるよう供述した。警察は、右Aの供述を信用した。

(一五)  被告人、A及びBは、その後の警察及び検察官の取調べに対しても、大筋においては、当初の取調べの際の供述を維持し、被告人及びAは、原審公判廷において、捜査段階における供述の内容を全く争わなかつた。

3 検察官は、弁論において、以上の点に関し、詳細に意見を述べているので、以下、検察官の主張に即して、補足的な説明を加える。

(一)  Bに対する一二月四日の取調べ状況について

Bは、「取調べの際、取調べの警察官から『他の二人もこう言つているし、こうなんだろう。』と誘導され、『多分そうだと思います。』というように答えた結果、調書が作られた。」旨供述しているが、証拠によると、右取調べの時期には、警察は未だ被告人及びAの取調べを行つていなかつたと認められるから、Bの右供述は、信用することができない。この点は、検察官が主張するとおりである。

むしろ、Bは、前記2(六)、(八)の経緯により、逮捕前被告人から言われたところに従い、実際はAがした行為を被告人がした行為であるように言い変えて、被告人に覚せい剤を注射してもらつた旨供述した疑いが強い。

同日付けのBの警察調書を検討すると、Bが右の方法により同調書記載のような虚偽の供述をすることは、十分可能であつたと認められる。

Bは、当審証言では、警察の取調べに対し自分が虚偽の供述をした責任を警察側に転嫁しようとして、右調書の供述が取調官の誘導の結果であることを強調した疑いが強い。

(二)  被告人の弁解録取時の状況について

検察官は、「被告人が一二月三日にBに対し『私が射つたことにしていい。』と述べたとすれば、その被告人が逮捕後の弁解録取の際に事実を否認したというのは不自然である。」と主張する。

しかし、被告人は、当審公判廷において、「警察に行つたときには、警察で本当に私が射つたことになつているのかどうかも分からず、認めたくない気持ちにもなつていたので、最初は否認した。」旨供述しており、この供述が不自然であるとはいえない。

すなわち、被告人の供述によると、被告人は、Bから「警察でどういう風に言つたらいいか。」と相談を受け、Aを庇いたい一心で、突嗟に「もし何かあつたときは、私が射つたことにしていい。」と答えたというのであつて、熟慮の末、身代りを決断したというものではない。また現に、Bと身代りについて詳細な打合せや口裏合せをすることもなかつたというのである。したがつて、被告人は、警察に逮捕された時点では、Bが警察で実際にどのような供述をしているか全く分からない状態であつた。また、被告人が一旦はBに前記のように答えたものの、その後、愛するAのためとはいえ、自らが無実の罪を引き受けることに躊躇を感じ、気持ちが動揺したというのも、ある程度無理からぬことと思われる。そうすると、被告人が、弁解録取の際、当初は事実を否認し、取調官から「Bはお前に射つてもらつたと言つているぞ。」と告げられた後間もなく、全面的に事実を認めたというのも、不自然ではないと考えられる。

(三)  Aに対する一二月八日の取調べの状況について

(1) Aは、右取調べの状況について、「取調官から具体的な事実を尋ねられて、しばらくしやべらないでいた。自分だけのことであつたら別に構わないけれど、Bが自分と一緒にやつているし、被告人もあの場所にいたから、直ぐにはしやべれなかつたのである。すると、取調官が『甲野はこう言つているぞ。』という感じで聞いてきたので、それに乗つて、被告人が私やBに注射したと述べた。」旨供述している。

これに対し、検察官は、「Aが自らその身体に注射したのが真実であるとすれば、Aは、その事実について取調官から具体的な供述を求められた際、素直にありのままの事実を述べればよい筈であつて、Bや被告人のことを顧慮して直ぐにはしやべれなかつたというのは不自然である。」旨主張する。

この主張は、それ自体甚だ筋が通つているが、右Aの供述の評価に当たつては、次の事情を考慮する必要があると思われる。

先ず、Aは、自らの身体に覚せい剤を注射する前後に、Bにも覚せい剤を注射している疑いが強い。したがつて、Aとしては、自己使用について具体的事実を供述しようとすれば、自ずとBに対する使用にも触れざるを得なくなり、右事実についても当然取調官から追及されることが予想される状況であつた。そして、右Bに対する使用を含む事実全体について具体的な供述をするにあたつては、自分の立場をできるだけ有利に導くとともに、共犯者のBや現場に同席した被告人の立場にも配慮し、かつ、同人らの供述と自らの供述が著しく食い違わないようにする必要があつたところ、Aは、当時、B及び被告人が逮捕されたことは知つていたものの、同人らがどのような供述をしているかは全く分からない状態であつた。

また、Aは、一一月二一日パトカーに囲まれた際、被告人に「ポンプと鋏をバッグの中にしまつたから、もし見つかつて誰のかと聞かれたら、俺のでないと言つてくれ。」と依頼した疑いが強く、更に、その後勾留中に被告人が面会に来た際、立会いの警察官に分からないよう言葉を選んで本件についてうまくやつて欲しい旨を伝えようとした疑いもあるところ、これらの状況からすると、Aは、本件について警察の取調べを受けるに至つた際、自分より先に取調べを受けたBと被告人が何とかうまいことを言つて自分達の立場を有利にしようと図つてくれているのではないかとの一縷の望みを抱いていたとも推測される。

そうすると、Aが取調官から犯行の具体的事実について尋ねられた際、直ちに事実をありのままに自白することにためらいを感じ、しばらく黙つていたというのも、あながち不自然ではないと考えられる。

(2) Aの取調べに当たつたB警部補は、当審で証人として尋問され、右取調べの際「甲野はこう言つているぞ。」などと告げてAの供述を促したことはない旨供述しており、捜査の常道からすれば正にそうあるべきものとは思われるが、本件の場合、前記2(一二)のとおり、警察が最初から被告人の供述を信用し、被告人が本件の中心人物であると考えていたことなどの状況からすると、Aが具体的事実を問われてしばらく黙つてしまつた際、取調官が「甲野はAに注射してやつたと言つているぞ。」などと告げてAの供述を促すことがなかつたとは断じ難い。

(3) そして、Aは、取調官から右のように告げられた場合、被告人がAを庇つて身代りの供述をしてくれていることを察知し、自分がした行為を被告人がした行為であるように言い変え、取調官の誘導的な質問にも助けられながら、被告人がAとBに覚せい剤を注射した旨供述することも十分可能であつたと認められる。

なお、Aの同日付けの警察調書には、同人が本件当日被告人及びBと共に館林のDのところに被告人の荷物を取りに行つた旨の供述記載があり、これが信用し難いことは、前記三4(三)のとおりであるが、この供述は、取調官が被告人の供述に基づきAを誘導した結果、得られたものである疑いが強い。

また、Aの警察調書中「自動車を運転中眠くてたまらなかつたので、後部座席にいる被告人に『元気の素ある。』と聞いたところ、被告人が手掌にビニール袋に入つた覚せい剤を載せて出して見せた。」旨の供述記載は、被告人の供述には現われていない特徴のある供述であるが、この供述が信用し難いことは、前記三4(二)のとおりであり、Aが被告人から覚せい剤の提供を受けるに至つた経過を創作して述べた疑いが強い。

(4) 前に引用した被告人の七月六日付けの手紙には、「A君が、弁護士が面会に行つた時に、別に庇つてくれとは頼まなかつたと言つていると聞いたとき、たしかにそうかもしれないと思つたけど、……」との記述があり、また、Aの六月一七日付けの手紙には、「花子も俺のことを思つておれを助けるつもりで嘘を言つたのだと思つている。俺も花子の助けに乗つてしまい本当に悪いと思つている。」との記述があるが、これらの手紙は、Aが本件身代りを被告人に依頼することはなかつたにもかかわらず、警察の取調べの際の取調官の言動等から、被告人がAを庇つて身代りの供述をしてくれていることを知り、我が身可愛いさからこれに乗つて、虚偽の供述をしたことを強く推測させるものである。

(四) 結論

以上の説明から明らかなとおり、本件身代りは、被告人がAを庇いたい一心で深く思慮をめぐらすこともなく、Bに「何かあつたときは私が射つたことにしていい。」と述べたことから始まつたもので、被告人又はBとAの間には事前の通謀がなく、被告人とBの間においてさえ詳細な打合せや口裏合せが行なわれていない点で、通常の身代りとは著しく形態を異にしている。身代りの企図としては甚だ杜撰であり、その成否は偶然の事情にかかるところが大きかつたと認められる。

にもかかわらず、証拠によると、この身代りの企図が、偶然に助けられ、前記2の経緯により成功した可能性を否定することができない。

そして、前記四で引用した被告人とAの間で取り交わされた手紙は、右身代りの存在を強く推測させるものである。

そうすると、本件には身代りの疑いがあると結論せざるを得ない。

六 結論

以上の検討によると、前記三及び四のとおり、本件の真相は、Aが自ら所持していた覚せい剤を自身に注射するとともに、Bにも注射してやつたもので、被告人は右覚せい剤の使用に関与しなかつた疑いが強く、捜査段階又は原審公判廷において被告人、A及びBが一致して公訴事実に沿う供述をしたのは、前記五のような事情によるものであるとの疑いを否定することができない。

そうすると、被告人が本件公訴事実を犯したとするには合理的な疑いが残るというほかなく、結局、本件については犯罪の証明がないと言わざるを得ないから、原判決は、事実を誤認したものと言うべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において更に判決する。

被告人に対する公訴事実は前記のとおりであるが、これについては犯罪の証明がないので、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉丸 真 裁判官 木谷 明 裁判官 平 弘行)

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